父の認知症が進行し、夜中に、まるで夢遊病者のように、玄関に向かうようになったのは、三年前の夏のことでした。最初は、物音で私が気づき、優しく寝室へ連れ戻すことができていました。しかし、ある朝、私が目を覚ますと、父の姿がなく、玄関のドアが、わずかに開いていたのです。血の気が引き、私はパジャマのまま、必死で近所を探し回りました。幸い、父は、家から二百メートルほど離れた公園のベンチで、ただぼんやりと座っているところを、無事に見つけることができました。しかし、もし、あのまま幹線道路に出ていたら。そう思うと、私は恐怖で全身が震えました。その日から、私の葛藤は始まりました。父を危険から守るためには、夜間、玄関に外から鍵をかけるしかない。頭ではそう分かっていても、どうしても、その決断ができませんでした。尊敬する父を、まるで罪人のように、家に閉じ込めてしまう。その行為が、どうしても許せなかったのです。眠れない夜が続き、私は心身ともに、追い詰められていきました。そんな私を見かねて、妻が、地域包括支援センターに相談してくれました。そこで、ケアマネージャーさんから提案されたのが、「火災報知器と連動する電気錠」の存在でした。火災を検知すると、自動で解錠されるというのです。これなら、父の安全を守りながら、万が一の際の避難経路も確保できる。私は、藁にもすがる思いで、その設置を決意しました。工事が終わり、その夜、私は初めて、外から玄関の鍵をかけました。スマートフォンアプリの施錠ボタンを押す、私の指は、少しだけ震えていました。罪悪感が完全に消えたわけではありません。しかし、それ以上に、今夜、父が危険な目に遭うことはない、という大きな安心感が、私の心を包んでくれました。そして、火災への備えがあるという事実が、私の罪悪感を、少しだけ和らげてくれたのです。介護とは、理想論だけでは乗り越えられない、厳しい現実の連続です。その中で、私たちは、様々なツールや、人の助けを借りながら、その時々で、最も良いと信じる選択を、していくしかないのだと、私は学びました。
父の徘徊と外からの鍵と私の葛藤